ツール・ド・三陸2013(前日)

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ツール・ド・三陸を走ってから一週間。
帰宅してからバタバタした日常に戻り、この週末に入ってしまったわけですがね。
しみじみと思い出しては反芻しております。
実に思い出深い旅でありましたよ(^^)

三陸どころか東北の地が初めてだったので、地理は全くわからず。
ひたすら真っ直ぐな東北道を走り抜け、一関ICを降りたら「平泉」と出てきた。

平泉と言えば、中尊寺。
奥州藤原氏の栄華を今に伝える金色堂のあるお寺でありますね。

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あの源義経の終焉の地であるこの地域。
子供の頃から日本史が好きだったので、金色堂はいつか見てみたいと思っていたのだけどもね。
不意に機会が訪れたわけです。

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国宝である金色堂は、覆堂(ふくどう)というコンクリートの建屋の中に丸ごと納まっていて撮影が禁止されている。
なので、日本史の教科書で見たのと同じような写真を撮ってみた(笑

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これは昔の覆堂。
現在のコンクリート建屋になる昭和30年代までは、この建屋の中に金色堂が収まっていたそうな。

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中尊寺は広大な敷地内にたくさんのお堂が並んでいたね。
判りやすく言えば、軽井沢とかの別荘地みたいな感じ。
神奈川のお寺とは違い、レイアウトがゆったりしているのが印象的でした。

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「奥の細道」とはよく言ったもので、芭蕉翁のセンスにいちいち関心。
「夏草や 兵どもが 夢の跡」という句を読む気持ちも分かる気がした。
この辺りはゆっくりサイクリングしに来てみたい場所だね。

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中尊寺を後にして、一路陸前高田市へ。
朝から走ってきたけど、もう夕方になってしまった。

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この先にどんな光景が待っているのかは十分に理解していたつもりだったんだよ。
陸前高田の市街がどういうことになったのか、報道などで見ていたのだから。
陸前高田に近づくにつれ、「高田松原まで○km」という表示も出てくる。
あの白砂青松を絵に描いたような見事な松林は、もうない。
そう思うと、ハンドル握る手も緊張せずにはいられない。

市街に入った頃には、もう日が暮れていた。
山側の高さのある地域には、仮設の市役所などがビッシリ建てられていた。
街中に下りると真っ暗で、周囲には何もない。
実際にこの目で見て、想像を絶する規模にただただ圧倒されてしまった。
立派な道路があるけれど、信号はまだなかった。
一帯は大規模な造成工事をしているようなので、市街地の山側は町全体が工事現場という感じ。
暗いせいもあるけど、津波被害を直接思い起こさせるものはこの辺りには見られなかった。
マジで真っ暗なので、写真はありません。

今日の宿は南三陸。
海側の国道を抜けていく必要があるので、真っ暗な陸前高田市街を抜けて海に向かう。
そこにはこんなバス停がありました。

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津波で壊滅してしまったJR大船渡線は、線路跡をバス専用道に作り変え、BRTという交通システムで復旧されている。
このバス停はその際に新設されたそうです。
ここから数分歩くと・・・

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あの一本松であります。
歩いて見に来ている人達も何組か見ました。
現在の松はライトアップされていて、背景には津波で倒壊した建物がそのまま残る。

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復興は国道45号沿いの方が進んでいるようで、この付近には信号もガードレールも整備されていた。
それに、再建中の企業の建物がいくつかあったのも驚いた。
橋も架設中みたいだし、それだけ見ていれば普通の工事現場にしか見えないくらいに復旧している。
でも、これを見るとやはりドキリとする。
ニュースやYouTubeで散々見た、あの津波は本当にここに来たんだ、と思い知らされる。

あの日、オレは会社で地震に遭遇した。
あれ、揺れてる?という感覚から始まり、そのうちグラリと大きく揺れる。
いつもならグラリと来たら収まっていくのに、どんどん大きくなっていくのは恐怖だった。
誰もがこれはヤバい、普通じゃないと思い始めた時、机の下にヘルメット被って潜れという指示。
しかし揺れは収まらない。
スライドキャビネットはドミノ倒しのように激しく揺れ、子供の頃から教えられてきた関東大震災がいよいよ来たか、と思った。
地震が収まり、建屋の外に避難する。
余震が続くなか、安否確認が行われる。
誰かが携帯でワンセグ放送を見始めた。
「東北だって」
え?そんなに遠いの??
それでこの揺れってことは、あの辺りは一体・・・??
ワンセグの画面を見ると、渦を巻く津波の映像。
船が湾内で激しく流されていたんだ。
帰宅させられ、テレビを付けると見たことのない津波の映像。
鳴りっぱなしの緊急地震速報の中で、余震に怯えながら眺めていたあの津波。

暗くて何も見えないけど、今まさにその場に立っている。
明日の朝、何を見るんだろう?自転車に乗れる気分でいられるだろうか?
という気持ちになったよね。

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今回のツール・ド・三陸は、自転車仲間の友人である地元の方のお誘いが参加のきっかけ。
聞けば、地元の人たちは大勢来てくれることを望んでいるという。
開催が決まっているとはいえ、迷惑じゃないのだろうか?歓迎されるのだろうか?
という葛藤は、現地に着いても消えなかった。
被災地で自転車に乗って、どういう意味があるのだろうか?
そう思うと、明日自転車に乗って走り出す気も萎みそうになる。

とにかく飯を食うために、気仙沼に向かう。
こちらも港は津波でやられてしまったけど、屋台村があるそうな。
途中、津波で流されてきた第18共徳丸の解体現場も通った。
三浦三崎出身のオレにとって、漁船は子供の頃から慣れ親しんだもの。
大きさも重量感も肌で知っているだけに、こんなところまで流されている事実が衝撃的だった。

気仙沼の町は、造成からやり直している様子の陸前高田市より明るかった。
途中、セブンイレブンに寄った。
建物は架設だったけど、看板の明るさは誰が見たってセブンイレブン。
これでどれだけ安心したか。

気仙沼港に着くと、すぐに目に入る復興屋台村。
どことなく、三崎の北条湾の雰囲気に似ている。
港町はどこも同じとはよく言うけれど、初めて来たのに初めて感が少ない。
周囲の建物は押し流され、更地が多い点を除けば・・・。

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復興ボランティアと思しき学生たちも多かったね。
決して広いエリアではないけれど、幅広い年齢層の人たちでにぎわっておりました。

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まぐろ丼の店に入る。
店内にはマグロ漁船の写真が。

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気仙沼のマグロ漁船は、三崎にも水揚げに入ってきてた。
今はどうか知らないが、当時の三崎の小学生は同じ港町である気仙沼のことも教えられていたんだ。
マグロ漁船のお尻には、「第一○○丸」という船名の下に所属する母港が書かれている。
三崎の船なら、「神奈川県 三崎港」という具合。
気仙沼の船なら、「宮城県 気仙沼港」となる。
神奈川の小学生にとって、宮城県なんて外国みたいなもの。
遠くから来てるんだなあと眺めていたことを思い出す。

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三崎出身であることを話したら、ご主人の表情が緩む。
店に掲げてあるマグロ漁船の船名札を見せられ、「ご存知ですか?」と。
すいません、漁業関係者じゃないのでわかんないっす(^^;
我が地元からも支援があったこと、今は気仙沼の船は静岡の清水港で水揚げすることが多いことなどを聞いた。
もちろんマグロはおいしかったのだけど、印象に残ったのはお店の人の明るさ。

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もともとは港の建物でお店をやっていたらしく、屋台村から戻れるように頑張っているのだそうです。
多くの悲しみがあったはずなのに、頑張らないと!という前向きな思い。
「がんばろう東北」
という言葉は、単なるキャッチフレーズではないのだと思った。
直接被災していないオレの方が励まされるくらいで、つまりはそういった感情交換が本質なんだね。
「また来ますよ!」
と店を後にする。

暗がりの陸前高田で見た光景は、やはり衝撃ではあった。
気仙沼から南三陸に至る道でも被害の痕跡は色々と目にした。
アップダウンを繰り返す国道には、津波到達点を示す看板がたくさん設置されていた。
しかし、被災された気仙沼の方々を見てたら、
「意味があるかどうか、走ってみなきゃわからんな。」
と思えたわけです。

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やっと辿り着いた宿は、南三陸の半島の先。
車を降りると、暗闇の向こうに太平洋の海の音。
いやいや東北に来たんだなと実感し、現地放送を楽しみに部屋のテレビを付ける。
そこには踊る大捜査線が(笑
長距離運転の疲れはやはりハンパなく、青島刑事の声を聴きながら寝落ちですよ。
当日の様子はまた次回に(^^)

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